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フランスのストリートシーンと聞いて真っ先に思い浮かぶのが、マチュー・カソヴィッツが監督した映画『La Haine(憎しみ)』だ。パリ郊外の“バンリュー”を舞台に繰り広げられる人種差別を根元とした不毛な争いを描いた衝撃作だが、そんな過酷な現実を生き抜く主人公たちに明るい希望の光を灯したのは、当時最先端をひた走っていたニューヨーク、ひいてはアメリカのストリートカルチャーだった。

現在もフランス社会は『La Haine(憎しみ)』さながらに移民へのヘイト問題を抱え続けている。しかし、その一方で映画と同じようにサブカルチャーを通じて人種対立を乗り越えている人々の輪も存在している。そのひとつが、スケートボードでつながる創造性あふれるシーンだ。

ここでは多様性に満ちたスタイルを提示し、世界中から注目を集める『マジェンタ・スケートボード』に行き着くまでの、フレンチ・スケートシーンの歴史を紐解きつつ、その発展の過程を紹介していきたい。

※フランスのストリートシーンの魅力が集約された『La Haine(憎しみ)』のオープニングシーン

 

フレンチスケートを世界へ知らしめたJ.B.ジレの存在

フランスのスケートシーンが現在のように成熟していく過程は、時を同じくしてアメリカからスケートボードを輸入した日本のシーンが辿った道程と似ている。

アメリカの第4世代のスケートスタイルがメディアを通じてレポートされ、ストリートライドを重んじる「街特有のスタイル」へと変化していく過程は、まさに日本が’90~’00年代に通過してきたスタイル形成とそっくりだ。しかし、都市を象徴する世界レベルのスケーターが存在し、その人物を通してアメリカとの強いパイプを作り上げてきたという側面については、少々様子が違うといえる。

そのスケーターの名は、J.B.ジレ。’90年代半ばにカリフォルニアへと渡ったJ.B.ジレのインパクトは、’96年にリリースされたニューディールの『プロモ96』からはじまり、’97年の『ロドニー・ミューレンvsデーウォン・ソン』では、さらに輝きを増す。そのパーフェクトかつスムースなスタイルは、かつて見たことがない文字通りのオリジナルスタイルだった。

今ではラカイやクリシェでチームメイトともなっているルーカス・プイグなど、フランスを代表するスケーターが誕生しているが、フレンチシーンはJ.B.ジレなくして語ることができないといえるだろう。

『411VM』のルーキーよりJ.B.ジレが世界で注目されるきっかけとなったフッテージ。サウンドトラックは、モロッコ~セネガル系フランス人ラッパー・Boobaが所属していたギャングスタラップ・グループ、Lunaticの「Groupe sanguin」。

『ロドニー・ミューレンvsデーウォン・ソン』での滑りは、日本でも多くのファンを獲得した。

クリシェの名作『フリーダムフライ』で魅せる異次元のスムーズライディング。

 

 

全世界へフレンチシーンを発信するパズルビデオ

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こうして盛り上がっていったフランスのシーン、ひいてはヨーロッパのシーンを詳細にレポートしてくれたメディアとしては、’97年発刊のビデオマガジン『パズルビデオ』をなくして語ることはできない。

パソコンの普及にともなう製作コストの低下とインターネットの普及により、局地的なトピックを世界へ発信することが容易くなったことで、当時最もメジャーだった『411VM』が紹介するUSシーンとは異なるユーロ・シーンを扱うことで注目を集めた。

なかでもフロレンティン・マーフェインやバスチャン・サラバンジーといったヨーロッパから世界へと飛び出していった類い稀な才能を持つスケーターの滑りを見慣れたアメリカのスポットではなく、地元のヨーロッパのスポットで撮影した真新しさも相まって、世界中のスケーターたちを虜にすることとなった。

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2009年に終了した『パズルビデオ』の遺作。アメリカのビデオマガジンとはあきらかに一線を画すお洒落さが全開

 

 

フランス発ワールドワイドブランド『クリシェ』の登場

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’00年以降は、フランスを中心とするヨーロッパ各国のレペゼン合戦がはじまった。その中心にあったのが’97年にジェレミー・ダクリンよりリヨンで設立された『クリシェ』だ。

当時、マーカス・マクブライドやケール・ヌスクといったライダーを抱えたシューズカンパニー『リンクス』のオーナーでもあった彼は、まだまとまりのなかったフランスシーンにビジネスの要素を持ち込み、持続可能なシーンへと成長させるのに一役買った人物。その後、10年以上に渡りフランスシーンを盛り上げてきた功績は非常に大きく、その後リリースされたスケートボード写真集『レジューム』からは、予算面でいかにジェレミー・ダクリンが苦労したかを伺い知ることができる。

彼の地道な活動とその元に集まった素晴らしい才能により花開いたリヨン発の『クリシェ』は、今もヨーロッパ、そしてフランスシーンの中核にあり、J.B.ジレを代表とする各ライダーがシーンの花形を務める。

また『クリシェ』の成長で本国アメリカとヨーロッパライダーの交流も盛んに。今やアメリカのブランドと比較しても遜色のない存在として世界に認知させた功績は大きい(ちなみに現在は『オールモスト』や『ブラインド』といったブランドを取り扱うアメリカのドウィンドル・ディストリビューションに1ブランドとなった)。

また、日本を代表するワールドワイド・スケーターの池田幸太をライダーとして迎え入れるなど、日本国内における注目度も高いのが特徴だ。

『クリシェ』の名作『ボンボヤージュ』より、自身のブランド「ヘラス」も好調なルーカス・プイグの傑作パート。曲はマリ出身のフレンチラッパー・OXMO PUCCINOの「Tiroir caisse」。

同じく『ボンボヤージュ』でテクニカルな滑りを魅せるジョイ・ブレジンスキー

 

日本との交流も盛んな『マジェンタ・スケートボード』

リヨンの勃興、ひいてはフレンチシーンの成長の特筆すべき要因としてシーンを記録する名フィルマーの存在を付け加えておきたい。『エス』の大作『メニクマティ』、そして『クリシェ』のビデオやCMを手がけた「フレンチ・フレッド」ことフレッド・モルターニュ、そして彼が記録したリヨンのリアルな映像は、ローカル・シーンが歴史を積み重ねていく上で欠かすことの出来ない存在だった。こうして厚みを増してきたリヨンはシーンの牽引役を果たすようになっていく。

’98年の通貨統合で活気の増したヨーロッパ経済のあおりも受けつつ、ヨーロッパが、各国のシーンが、そして各都市のシーンがより熟成していく。’00年代初頭、イギリスシーンやスペイン、バルセロナのシーンにも注目が集まり、天才スケーターとして注目を集めたバスチャン・サラバンジーも所属していたウィールのブランド『ローズウィール・コンスピラシー』の誕生なども相まって、さらにヨーロッパへの注目は増していく。

フランスでも、リヨン以外にニースやレンヌなど各都市のシーンができあがっていくが、ここでボルドーのシーンも成熟する。メインスポットのアンドレ・マルロー・センター、通称「マルロー」を中心に様々なローカルスポットを生み出し、繰り広げられたストリートスケーティングは遂にソイ・パンディ、レオ・バルス、ヴィヴィアン・フェイルによって結成された『マジェンタ・スケートボード』として昇華し世界に発信される。そのメロウで親近感を感じる手づくり感覚は名作『スタティック』でのライディングも印象深いジョシュ・スチュワートを通して、アメリカ、そして日本をはじめとする世界に受け入れられていった。

またジミー・ラノンの加入や、日本からもタイトブース・プロダクションを手がける上野伸平や上原耕一郎といったライダーが加入し、マジェンタはさらに勢いづく。近年ではFESNの森田貴宏とのコラボレートやジャパンツアーを敢行するなど、日本とのコネクトもさらに緊密になってきている。こうした人種を超えた動きを見せるのは、『La Haine(憎しみ)』を超えて飛躍するフランスのスケートカンパニーだからこその活動といえるのではないだろうか。

経済の低迷もあってか、民族、思想、宗教にまつわる対立が増えつつある日本。我々は、過酷な現実に直面し、それをクリエイティブな活動によって乗り越えてきたフレンチ・スケートシーンに、今こそ学ぶべきなのかもしれない。

『マジェンタ・スケートボード』の魅力といえば、圧巻のストリートライディングに尽きる