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1893年、ボート競技用の履物として産声を上げたスニーカーは、この100年ほどの間に驚異的な進化を遂げてきました。それは、まさに連続したイノベーションが作り上げた創造性の結晶。混沌とした現代で輝く“本物の個性”を探るなら、激動のスニーカー史に学べることも多いはずです。

そこで今回は、東京を代表するスニーカーショップ『atmos』の協力のもと、時代を切り拓いたエポックメイキング・モデルを精選して紹介し、当時の時代背景を踏まえながら、その魅力を紐解いていきます。まずは、変革のきっかけが生まれた「’70~’80年代」からお届けしていきます。

空前のスポーツブームが変えるスニーカーの存在意義

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ヒッピームーブメントを経て、自然回帰や健康志向の機運が高まっていた’70年代のアメリカでは、空前のジョギングブームが巻き起こっていました。愛好家の数は3000万人を超え、ジョギングアイテムが飛ぶように売れたことから、スポーツメーカーはこぞって専用シューズの開発に力を入れ出します。

1975年にはブルックスが世界で初めて「EVAソール」を搭載した軽量モデル『VILLANOVA』をリリースし、1978年にはナイキが現在まで受け継がれるクッショニングシステム「AIR」を初めて搭載した『AIR TAILWIND』をドロップ。当時のスニーカーシーンでは、ジョギングシューズこそがイノベーションの担い手としての役割を果たします。中でも、『CORTEZ』『ELITE』『LD-1000』といった革新的なモデルを次々にヒットさせたナイキは、このブームに乗って急成長を果たし、アメリカを代表するスポーツメーカーへと発展させる足がかりをつかみます。

そして’80年代に入っても、アメリカ人の健康ブームは止まることを知りませんでした。エアロビクスやフィットネスジムといった新しいアクティビティも生まれ、スポーツそれ自体がトレンド感に包まれていくことになります。バスケットボールではマイケル・ジョーダン、アメリカンフットボールではジョー・モンタナ、テニスではジョン・マッケンローといったスーパープレイヤーが誕生し、そのスター性にあやかったシグネチャーモデルが注目されはじめたのも新たな潮流です。若者の足元では、以前にも増してバスケッ卜シューズやテニスシューズが存在感を増すようになり、トレーニングアイテムであったスニーカーは遂にファッションアイテムへと進化していくのでした。

adidas Originals
SUPER STAR
1970年頃

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1969年にバスケットボール用のシューズとして開発された『SUPER STAR』は、キャンバスシューズが主流を占めたバスケットボールシーンで、オールレザーを採用した点に真新しさがありました。当時、大人気だったNBA選手、カリーム・アブドゥル・ジャバーが「まるで素足に三本線がプリントされているようだ」と絶賛したといわれる履き心地も相まって、’70年代半ばには、75%以上のNBA選手が着用していたといいます。

また、80年代に入ると、NYの伝説的ヒップホップグループ、RUN DMCがシューレースを使わずに愛用したことから、ファッションシーンでも支持されることに。スポーツシューズを出発点にしながらも、スニーカー史で初めて副次的にカルチャー性を帯びた功績も見逃せません。スケートボードシーンやブレイクダンスシーンなど、今なおストリートカルチャー全般からリスペクトされている一足です。

adidas Originals
STAN SMITH
1973年頃

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全仏オープンで活躍した名テニスプレイヤー、ロバート・ハイレットのシグネチャーモデルとして1968年に誕生した『HAILLET』をベースに製作。その後、全米オープンやウインブルドンを制したスタン・スミスが愛用して爆発的な人気が出たことから、名称を『STAN SMITH』へと変えました。

STAN SMITHの持つ絶対的な価値は、いたってシンプルなフォルムにあります。アディダスの創設者、アディ・ダスラーが提唱した「機能の後にデザインがついてくる」 というデザイン哲学を実践し、「いつの時代でも履ける一足」という金字塔をスニーカー界に打ち立てました。’90年代には3000万足を売り上げ、世界で最も売れたスニーカーとしてギネスブックにも登録されています。

NIKE SPORTSWEAR
NIKE AIR TAILWIND
1978年頃

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ナイキを語る上で欠かせないクッショニングシステム「AIR」を初めて搭載したモデルとして、スニーカー史にその名を刻む一足です。AIRを発明したNASAの元技術者、フランク・ルディの売り込みによって開発がスタートしました。

ベースとなったのは、すでに評判の高かった長距離トレーニング用シューズ『LDV』。革新的な機能を備えたことをデザインでも伝えようと、シルバーを基調とした未来感のあるカラーリングが採用されています。当時のスニーカーの最高価格となる$50で発売したのも、ナイキの自信の表れだったに違いありません。ジョギングブームの追い風に乗っていたナイキだからこそ作れた、実験的なモデルといえます。

JORDAN BRAND
AIR JORDAN 1
1985年

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バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンのために作られた『AIR JORDAN 1』は、シグネチャーモデルという存在を世界中に広めるきっかけを作った最初の一足。スニーカーフリークたちが愛してやまないエア・ジョーダンシリーズの記念すべき第一弾としてリリースされました。その名称は、ナイキのクッショニングシステム「AIR」とマイケル・ジョーダンのニックネーム「エア」を掛け合わせたことに由来しています。

ホワイトが主流だった当時のバスケットボールシューズとは大きくかけ離れた、ブラック×レッドやブラック×ブルーといった斬新なカラーリングを展開。NBAからは「カラーが適切でない」との理由で履くことを禁止され、出場の度に課せられる罰金をナイキが肩代わりしていたという逸話もあります。

また配色の面白さは、西海岸カルチャーの最前線に立ってイノベーションを起こしていたスケートボードシーンでも支持され、当時のドリームチーム「ボーンズ・ブリゲード」のライダーたちが愛用したことで、ストリートファッションの文脈でも多くのファンを生み出しました。

New Balance
M996
1988年頃

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’70年代後半よりランナーからの支持率を高めていたニューバランスが、1982年に発表した『990』シリーズの3作目としてリリースし、その人気を不動のものにしたといわれる歴史的名作。軽量でクッション性に富むEVAを、衝撃吸収性と分散性に優れたポリウレタン素材に封入したミッドソール構造「ENCAP」を搭載する代表モデルとして、現在でも安定した人気を誇っています。

また、産業の空洞化が社会問題となっていた発売当時のアメリカで、国内生産にこだわって製造したことも人気の理由となりました。そのため、コアなニューバランスファンはオリジナルと同じUSA製を好む傾向にあります。

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